学歴コンプレックスについて考える
お久しぶりです。
最近就職活動に追われてしまって中々ブログを更新できませんでした…
(まだ終わってない…公務員試験の勉強つらひ…)
タイトルにもありますが、今回のブログでは”学歴コンプレックス”という単語について
考えていきたいと思います。
インターネット上で学歴について取り上げるのは荒れる。
人前で政治と野球と宗教の話はするなと言われてきましたが、学歴の話題も似たようなものを感じるというか、そう感じざるを得ないぐらい色んな意見が飛び交うなぁなんて感じています。
そんな考えもありながら、なぜ今回このような話題を取り挙げようかと考えたかというと、理由は2つあります。
1つ目は、現在行っているの就職活動の中で感じたこと
2つ目は、学習塾でのバイト、その教え子の国公立大学の入試が終わっこと
この2つの理由から学歴コンプレックスという言葉について改めて考えさせられたので今回はこのことにおける私の意見を執筆させて頂きたいと思います。
なお、ここでの意見はあくまで私の価値観なので、あまり深く受け取らないで頂きたいです_(._.)_
初めに、正直私は大学1年生、2年生の頃は所謂学歴コンプレックスの塊でした。
というのも、私の出身の高校が地元だとぼちぼちの進学校であったこと、一緒に勉強を頑張った友人がみな、旧帝国大学をはじめとした国立大学に合格していく中、自分だけ不合格となり、地元から一番近くの偏差値でいえば50前後の私立の大学に行くことになってしまったこと、これらのことに引け目や劣等感を感じた私は今思い返しても、
”痛い”という一言で一蹴できてしまうほどの学歴コンプレックスの塊でした。
「自分のレベルとはあっていない」という思い込みとしょうもないプライドで同じ大学の同級生を見下し、サークルや部活にも所属せずに引きこもって仮面浪人をするという、本当に無駄な時間を過ごしたなぁと大学生活を残り1年残して後悔しています…。
今となっては高学歴≠高偏差値の大学で「学士」「修士」「博士」に意味がある、
高校時代の先生たちが耳にタコだできるほど言っていた
「どこに行ったかではなく、そこで何をしたかの方が大事だ」という言葉の意味が
身に染みてわかります。
ただ、世間的にはそうではなくて、大学の同期には
「俺たちは学歴がないから大手企業は無理だ。」とどこか諦めたことを言う人もいますし、実際自分が就活を初めてみて、大手の説明会などに参加した際には、自分以外全員誰でも聞いたことのあるような名前の大学の方々ばかりで肩身の狭い思いをしたことも事実です。
大学4年間の活動<高校3年生時点での偏差値
というような風潮はとても世知辛い世の中だなぁなんて、常々感じます。
大学生活を送っていく上で、「大学なんて正直どこでもよくね?」と考えが変わったように、社会人になればまたこの考え方は変わっていくんだろうな。とは思いますが、現役の高校生(当時自分がそうだったように)は大学受験に成功すること、より偏差値の高い大学にいくこと=人生安泰のような思考に陥りがちであり、学習塾でバイトをするようになってそのような考えに苦しんでいる現役生も見てきましたが、未だにそのような生徒にかける言葉の正解がわからないです。
自分の恩師の先生がしてくれたような
「どこに行くかより、何をしたかだ」なんて言っても、それを体現できるような説得力のある人間ではないので…
なんなら当時の自分はこの言葉をかけられる度に「んなわけないやろ!」と内心思っていたぐらいにこじらせていたので…
この時期には受験で第一志望にいけた人、そうでない人が明確に分かれるので、指導者としてどうしたらよいのかわからず殴り書きのような、体裁の整わないブログを書いてしまいました。
私の支離滅裂な文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
是非皆さんの意見もお聞きしたいです。